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思想や思考の整理を兼ねてストーミング的なものをまとめています。
2026年06月09日 (Tue)
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2010年03月29日 (Mon)
BIJN設立集会(下記URL参照)に行ってきて、思うところがあった。
ので、自分の立場というか、BIに対するスタンスを再確認しようと思う。

「無条件で生活に必要な所得給付」上京 構想研究へ団体設立(京都新聞)
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P20100327000146&genre=G1&area=K00


分類すれば「ネオリベラリスト」的な言説になるとおもう。
かなり過激なことも言っているので、反論もあるだろう。
とにかく議論はするべきだと思う。

■私はアンフェア(不平等・不公正)が嫌いだ
ここで言うアンフェアというのは、
・生活保護の受給要件を満たしているのに受給できない(あげく餓死)
とか、そういうこと。


■アンフェアは人の恣意に起因する
生活保護を例に上げると、「こういう人に支給するべきです」とルールがあっても、
運用する現場で「水際作戦」とかいろいろあって、
自治体によっての申請が通りやすい通りにくいで差ができたりする。

原因は、運用に恣意の挟まる余地があるせい。
恣意の挟まらないルールが、厳密に運用されるのが最も公平なシステムであると考える。


■不明瞭で美しくない現行のシステム
税制、年金、いずれもややこしいシステムでわかりにくすぎる。

まず、「ルールは簡単であるべき」で、
誰でも(少なくともルールが適用される可能性のある人は)理解できる必要があるから。
税金なんて、控除やらなんやら、複雑極まりない。
国税と地方税と、年金と保険と…この辺の支出は一本化するべきだろう。

そして、「運用は高い透明性を持つべき」なので、
公平性が保たれるには、不正の余地が少なく、
行われた場合でも露見しやすい構造であることが求められる。
不正してるよ、って周囲から通報があれば簡単に摘発できるくらいに。

そうしたシステムは、BIを軸にして作れると思う。


■民営化万歳
で、可能な限り多くのシステムは市場に委ねられるべきだと考えている。

サービスは適切な競争から良いものができるはずなので、
後発企業がどんどん参入できる方が健全なサービスが提供される。

逆に、サービスの提供力に問題がある企業は淘汰されなければならない。

過度な競争による疲弊を避けるため、
労働市場も限りなく自由化されているべきである。
「生活のために働かざるをえない」という状況が、
労働者側に極めて不利な市場を形成している。

BIによる所得保障により、労働市場はマシになると思われる。

逆に、食えないような事業(例えば伝統工芸とか)でも、
存続のためなら薄給や無給で働いてもいいと思う人もいるだろう。
低収益事業も、そういう価値を認められれば、存続の可能性が生まれてくる。


企業は「消費者」「労働者」双方から価値を認められる必要があるって事になる。
そういう意味でも、(「最低」の部分をBIが担うという前提のもとで)
最低賃金はなくてもいいものだと考える。
同じ理由で、企業が最適化するために解雇規制なんかも不要。


■弱者の切り捨て
BIJN集会では微妙に悪者(?)にされていたネオリベ的BIですが。

弱者の切り捨てを肯定するのか、というと、
・弱者の救済を行うと、逆差別的に救われない層が現れる
ので、
・切り捨てるつもりはないが、特別に扱うのはいかがなものか
と、積極的に救済をするべきと思えないというのが正直なところ。


■逆差別について
もうちょっと詳しく掘り下げると、
例えば、「四肢障害」なら目に見えてわかるけど、
「精神疾患」は目に見えにくく、障害の認定が受けづらい…
というようなケースや、
かたや1級の障害、かたや2級の障害。
そして、3級、健常者、と扱いが変わります。
こういう区分けがある制度では、「境界線」を誰かが決めるわけです。
ボーダーライン上のあっちとこっちで、非常に近い状況でありながら扱いが変わる…というケースが想像されます。

個々の状態に応じて判断するというのは現実的ではないし、なおさら人の恣意が介入する。
ボーダーラインを引いて、判断するのが神ならぬ人である以上、
そういう境界線は逆に救われない人を産んでしまう。

だから、「公平性」を優先する私は、障害の軽重も個人の資質として丸め、
「一律」「無条件」である給付を支持するわけです。


■左利き手当て?
「個人に属する資質のため生活に不便がある」状態を、
程度の軽重や先天/後天、フィジカルやメンタルを問わずに「障害」と定義してみよう。
そして、「障害」の持つ困難の軽重に応じて、金額の大小をつけた支給があるとする。

その前提で、「手の左利き」に対する扱いを考えてみよう。
私自身は右利きだが、家族に左利きがいるので、不便な場面をそれなりに目にしている。

現在ではあまり聞かなくなったが、左利きの子供は右利きに矯正されることが普通にあったと言うので、「左利きには社会生活上の不利益がある」ことは、多くの人が認識していたはずである。

不便を金銭で測定して埋めるのが、障害に関する手当の考え方になる。
ここでは、左利きの人に500円/月支払う、っていうルールを仮定しましょう。

左利きについては、矯正されれば右手も使えるようになるので、ある程度の克服可能性があります。
しかし、克服の度合いにも差があり、「右手も普通に使えるようになった」から、「ペンだけ右で使えるけど日常生活は左」とか、「結局左しか使えない」まで、ここにも個人差があります。

左利きが克服されたら、日常生活の不便は解消されるのですから、手当ては当然なくなります。
1「訓練して、左利きを克服した人」→手当てナシ
2「訓練したけど、左利きのままの人」→手当てアリ
3「訓練はせず、左利きのままの人」→手当てアリ

この状況で、1に手当てがないのはしっくりこない人も多いのではないでしょうか。
「努力損」みたいで。

また、3の扱いも「訓練してないで左利きなのは自己責任だから払わなくていいだろう」という意見が出てくると思います。
しかし、それを否定すると、2の人に対しても「1にできたのだから、お前は努力が足りない」とされ、「左利き手当て」が有名無実化することになります。
なにしろ、「努力」なんて測定不可能なものを基準にするのは、人の恣意以外のナニモノでもないわけです。


「左利き手当て」は極論ですが、個人の資質に属する点で有利不利があるのは当然のことです。
どこで線を引こうと、もらえたりもらえなかったりが発生するのは、それだけで不平等な制度と考えます。

社会に出た年の状況で就業可能性がなかった。「氷河期手当て」をくれ。
不便な土地に生まれて住んでいる。「田舎手当て」をくれ。
人より頭が悪くてよい(≒高給の)仕事に付く機会がない。「バカ手当て」をくれ。

……どこまで許容できますか?
私は、すべて認めずに一律の金額にしてしまうのが妥当だと感じる。

政治家も官僚も神ではないので、公平な査定なんてできっこない。
ひょっとしたら、神でもできないかもしれない。
ならば、「同じ金額」という公平性のみで解決するのが、一番納得できる。


■ネオリベラリストというよりも、ニヒリスト
政治家も官僚も神ではないと書いた。
可能な限り政府の影響は小さい方がいいと思っている。

つまり、
「福祉を公平に、手厚くというようなことを、政治に求める方が間違っている。」
政府というものは、格差を一定量だけ埋める装置であればいい。
そうすれば、何が正しいのかを市場が決める。
…と考えているわけです。


■格差は肯定(貧困は否定)
BI環境下では生産に対して何らかの形で報いない限り、
人が生産をしなくなるという、社会主義的な末路が予想されます。

「働かざるものも食ってよい。そして、働いたものはいっぱい食ってよい。」
とするのが、労働意欲を残したまま、貧困を解消出来る社会でしょう。
労働と所得を切り離した上で、上乗せの経済活動に関しては自由。


■最後
書いてるうちに纏まりが無くなってきた気がするので、一旦締める。
とにかく、私は「フェアな社会」を求めてBIを支持している。
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駆け出し編集者にして自称評論家。そして紳士という名の変態。
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